まだら猫 

第29回 随筆春秋賞 入選作 (ノーカット版)

*写真と文は関係ありません。 写真=セネガル・ゴレ島で見た猫(エッセイ『思いつきファイルを整理する』より。

キタナイ猫だった。

およそその生涯でゆきずりの人に撫でてもらったり、食べ物をもらったりするチャンスに恵まれることはないであろう、醜い猫。思わず顔をしかめたくなるような、こげ茶と黒のまだら模様。一体どんなかけ合わせで、ここまで毛並みの悪い猫が生まれたものかと、いつも思っていた。

でも、僕はその猫が嫌いではなかった。そしてその猫も、たぶん、僕のことが好きなのだった。

 もう、「古い話」になってしまった。30年ほど前、もっと正確に言えば92年3月から93年5月まで、僕は北アフリカのアルジェリアという国にいた。地中海沿いのLPGガス精製工場で、通訳兼事務職の仕事を任されたのである。工場関係者の住むキャンプ内に、一軒の家を貸し与えられての生活。猫も同じキャンプ内の、草むらのどこだかに住んでいた。

その頃のアルジェリアの政情は、揺れに揺れていた。前年の暮れに、初の複数政党制による総選挙でイスラム原理主義政党が圧勝した。疲弊した経済状況に対する貧困層の不満を反映した結果と言われるが、国の「イラン化」を恐れた軍部が事実上のクーデターで全権を掌握、総選挙の結果は無効とされた。以降、反発する原理主義勢力のテロや治安部隊との衝突が頻発し、来る日も来る日も新聞を開けば物騒な見出しが目に止まるようになった。銃撃戦、暗殺、爆破予告・・テロに関わる仏単語を、いくつ覚えたろうか。悪化の一途を辿る国内情勢の記事を日本語に訳し所長に報告する事も、僕の仕事のひとつになっていた。

***

 僕が着任した時、まだ前任者のいたその家には、毛並みの良い別の猫が住んでいた。愛くるしいおっきな茶色の目と、白と麦色の滑らかな毛。小さな頃に家の前に居るのを前任者が見つけて、ほれミルクだスルメだと与えているうち、居着いたのらしかった。

 前任者が帰国する日に「面倒見てやってね」と頼まれ、「嫌です」と言う理由もないので「はい」とは答えたものの、慣れぬ環境、慣れぬ仕事で混乱していた僕は、猫に構うほど気持ちに余裕は持てなかった。だから、食べ終えた魚の骨だの目玉だのを、捨てるかわりにプラスチックの皿に入れ、玄関先にポンとおいてやるくらいの、極めていい加減な扱いしかしてはやれなかった。

 猫も猫で、気まぐれなものだった。愛らしい姿を武器に、フラフラとキャンプ内を散歩してはあちこちで人に媚び、おいしいご馳走にありついていたのかもしれない。散歩に出かければ、そのまま1日や2日は帰ってこないのが常だった。

 そしてある日、この毛並みの良い美男猫が何をどう間違ったか、まだらのブス猫と恋仲になって、家に連れて来たのである。まだら猫の汚さに、僕は狼狽した。

 美男猫はまだら猫に、それまで自分専用だった皿を使うことを許した。僕はそれを許さずあっちへ行けと追い払おうとするのだが、ぴゅーと逃げてはまた近寄って来て、用心深そうに上目使いで僕を牽制しながら、ローストチキンの食いかすをガツガツ貪り、鮭缶の残り汁をびちゃびちゃと舐めるのだった。

 以来、まだら猫はそこに居着いた。

 2ヶ月過ぎ、3ヶ月が過ぎた。

 僕は相変わらず、混乱していた。仕事は失敗の連続。厳しい環境のなか、早くも息切れし始めていた。イスラム社会の田舎町は、僕の想像や理解を遥かに超えた全くの別世界だった。

 顔と肌を見せない女。店員も客も男ばかりのカフェ。焼けつく陽射し。茶色い埃の舞う町。道端で交尾する羊。嘘をつく商人。限られた商品。繋がらぬ電話。水の出ない蛇口。泥棒。爆弾予告電話。夜間外出禁止令。

 話相手は日本人の所長ひとりだけ。

 辛く苦しい日々なのだった。楽しいことも、なかったわけではない。数え切れないほどのことを学んだ。視野も知識も広がった。だけどやっぱり、タフな日々だった。孤独だった。正直、逃げ出したかった。

 美男猫は、我が家の粗末な食事といい加減な扱いに嫌気がさしたのか、散歩に出掛けて戻って来る日が 週に2日となり、1日となり、ついには全く姿を見せなくなった。

 それでもまだら猫のほうは、毎日そこに来た。来る日も来る日も玄関先で、土埃を被ったかつての美男猫の皿の横に、ぽつねんと座っていた。

 いつしか僕は、そのこきたない猫に情を移すようになった。「お前も孤独なんだよなあ」などとひとりごちては、粉ミルクを粉のまま与え、肉の切れ端を与え、ミルクも肉もない時には、生卵をそのまま皿に割ってやるようになった。

情は、猫にも通じた。朝、玄関を出て扉にカギをかけていると、遠くの草むらから飛び出して一目散に走り寄ってくる。「ニャー」と可愛くは鳴かない。痩せこけた顎を突き出して口を開き、なけなしの力を振り絞って喉の奥から「ウアー」と情けない声を発する。試験管洗い用のブラシみたいにひょろひょろで色気のない尻尾を立て、ぐるぐる喉を鳴らしながら僕の足にまとわりつき、乾いた糞と枯れ葉をぶら下げたお尻を、ふくらはぎのあたりにずりずり擦り付けてくる。

 一日の仕事を終え工場から車でキャンプに戻れば、キャンプ入り口から家までの数百メートルの間に、どこで待っていてどうやって見つけるのか知らないが、全力疾走で後からついて来る姿がバックミラーに映るのだった。

***

 今、アルジェリアでの暮らしを思い出す時、どの場面にも必ずあの猫の姿が浮かぶ。

どの場面で本当にあの猫がいたのか、どの姿があとから記憶の上に描き込まれた挿し絵なのか、今となってはもうわからないのだけれども。

 非常事態宣言、夜間外出禁止令の下で行動できる範囲はとても狭く、僕たちは仕事外のほとんどの時間をキャンプで過ごした。所長のO氏と仕事帰りに町の市場に行っては材料を買いこみ、隣のブロックにあるO氏の家で日本料理を作って食った。作っては食い、食っては乾杯し、酔えばザザビビと雑音の入る家庭用カラオケのマイクを握った。給水制限で1日に2,3時間ほどしか出ない水を、蛇口を開いたままにして待ちながら。いつもいつもいつも、歌うのは同じ歌。歌に飽きれば将棋、将棋に飽きればオセロ。オセロにも飽きれば、もう他にすることもない。東京都23区や全国47都道府県の名を全部思い出し書き出すことで、時間を潰したりもしたものだ。案外思い出せないものだった。

 やがて台所からチョロチョロ水の音が聞こえてくると、僕はちどり足で自分の家に戻る。早く風呂に入らないと、またすぐ水が止まってしまうから。

そんな長い夜に僕がO氏の家を出ると、玄関脇のゴミ置き場に、あのまだら猫がいた。猫嫌いのO氏に石を投げられては、ぴゅーと逃げるまだらの猫。

 6ヶ月が過ぎ、8ヶ月が過ぎても、猫は僕とそこにいた。無精ひげで猫と同じくらい汚い顔になった僕は、キャンプを囲う鉄柵に沿って、毎日毎日ジョギングをした。汗まみれになって。不安を振り払うために。孤独を忘れるために。

 無心で走っては、腕時計に目をやる。時間を見るためにではなく、日付表示を見るために。あと240日、あと239日と、残りの任期を数えては、首に巻いたタオルで汗を拭い、また走った。

  最後の直線200mを、半ばやけくその全力ダッシュで走りきって家に戻ると、ガレージに置いた車の上に、あのまだら猫がいた。毛繕いをしていた手を止め、ピョンとボンネットから飛び降りて走り寄ってくる、まだらの猫。

 ***

途方もなく長い1年が過ぎ、14ヶ月目になって、交代の通訳者H氏が到着した。

「ここが宿舎なんですよ。で、これが鍵」

僕が手渡した鍵をドアに挿し込んで、H氏は「うあ!!」と悲鳴を上げた。見れば、H氏のふくらはぎに、まだら猫が汚い尻をこすりつけているのだった。

「ああ、その猫ね。なんか知らんけど、ずっとこの辺に住みついてるんですよ」

悲鳴に声に驚いて逃げて行く痩せこけた猫の話など、それきり続けることもなく、僕はH氏に部屋のトイレの場所やガスの開け方など教えるのだった。

 思えば、勝手なものである。

14ヶ月の間、「同じ孤独な仲間じゃないか」とばかりに手なずけ、時には愚痴など聞かせもした猫に、「元気でな」のひと言を残すわけでもなく、新たな住人に「よろしくしてやって下さい」と申し伝えるわけでもなく、僕はその地を離れた。

 僕はもう、一匹の野良猫のことよりも、蛇口をひとひねりすれば24時間好きなだけ使える透明な水や、町を歩けば100m置きにぶら下がってる赤提灯や、パンだのジュースだの靴下だの乾電池だのエロ本だのが所狭しと並べられてるコンビニのことで、頭がいっぱいだったのだ。遠目に見れば使い古したタワシと区別もつかぬほど汚れたちっちゃな猫のことなど、もう頭のなかにありはしないのだった。

これが正直なところだ。つくづく勝手なものなのである。

まだらの猫は、あのキャンプで生き続けただろうか。

せめて帰国する前に抱き上げて、こう言ってやれば良かった ―

『頑張れ。生きるためなら、そこらじゅうのごみバケツをひっくり返したっていい。人に見つかり追い立てられてもなおくじけず、キャンプの食堂裏に忍び寄れ。人に媚びるな。足蹴にされるだけだ。君は、君がいつも見てるほかの猫ほど可愛くないのだから』

可愛くない猫だけど、僕は今も君が好きだ。

トモンド・K


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